鹿嶋市の概要
鹿嶋市は、平成7年(1995年)に鹿島町と大野村の合併により誕生しました。茨城県南東部に位置する市で、かつては鹿島神宮の門前町として栄えました。産業では、農業に加え、鹿島灘・北浦での漁業が古くから盛んであるとともに、鹿島臨海工業地帯の開発による県内有数の工業都市でもあります。 さらに、Jリーグ鹿島アントラーズの本拠地であり、年間200万人の観光客が訪れています。
鹿嶋のあゆみ
古代から古墳時代にかけて、津賀遺跡のナウマン象の牙や片岡遺跡、二子塚古墳群など数々の遺跡群が発掘されていることから、古代鹿島の集落としての繁栄が見うけられます。
皇紀元年(紀元前660年)には、鹿島の地に古くからあり、東国三社の一つにも数えられている鹿島神宮が建造されたと伝えられています。
この名社の祭神である武甕槌神(たけみかづちのかみ)は、武の神として古くから皇室や藤原氏の崇敬を受け、さらに鎌倉期以降は武家政権の信仰も得て、社殿・楼門・宝物類の奉納や所領寄進が繰り返されてきました。80以上もある年中行事の中では祭頭祭、神幸祭、また12年に1度午(うま)年ごとに行われる御船祭が特に有名です。
鎌倉時代から室町時代までの約400年間、豪族鹿島氏の下に鹿島は発展していきました。現在では、鹿島氏の居城址として、城山公園が残されています。
江戸時代に入ると、宮本武蔵との“なべぶた試合”の逸話で知られる鹿島新当流開祖、塚原ト伝(つかはらぼくでん)などの剣豪や松尾芭蕉などの著名人が鹿島を訪れています。芭蕉は貞享4年(1687年)に月見に訪れて“月はやし梢は雨を持ちながら”などの句を残し、現在では根元寺に句碑も建てられています。
さらに、元治元年(1864年)には攘夷をめざして鹿島に集結した約700人の天狗党は幕府軍に敗れ、23人が下生村で打ち首にされるなど、幕末の激動が鹿島の歴史にも刻まれています。
近年では、1950年代半ばから1970年代初頭の高度経済成長期に鹿島臨海工業地帯が造成され、工業都市として進展しています。
さらに平成7年(1995年)の市制施行により、鹿島郡鹿島町が大野村を編入して鹿嶋市が誕生し、Jリーグ鹿島アントラーズの本拠地なるなど観光地としての側面も賑わい、魅力あるまちづくりを推進しています。
鹿嶋の名前の由来
鹿嶋(旧鹿島)の地名については古書の奈良時代の地誌である『常陸国風土記』に角折(かしま)として、由来が二説載っています。
一つは昔この地に大蛇が棲んでいて、東方にある海(鹿島灘)に出ようと思い浜に穴を掘っていたときに大蛇の角が折れて落ちたため、角折と付けた説です。もう一つは倭武の天皇がこの浜で仮の宿をおとりになる際、お食事をさし上げようとしたところお飲みになる水が全くなかったので鹿の角を手にして地面を掘ったところ、その角が折れてしまったので名付けた説になります。
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鹿嶋市どきどきセンター |
| 住所: |
茨城県鹿嶋市粟生字十二神2242-1 [地図を見る] |
| 電話番号: |
0299-84-0778 |
| 開館時間: |
平日 9:00〜16:30(入館時間16:00まで) |
| 休館日: |
第1、3土曜日・日曜日・祝日
年末年始(12月28日〜1月4日)
館内整理日(年間7日程度) |
| 入館料: |
無料 |
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